13日目 気持ち悪い

言葉にするのも気持ち悪いくらいに、当たり前がいかに幸せかに気づきました。

書かなかった二日間で、今の自分に対しての気持ち悪さと、未来の自分に対しての少しの期待と、過去の自分に対しての反省が、3つちょうど釣り合った気がします。

つまり、今の気持ち悪さは、過去と未来がなければ生まれなかった。気持ち悪さという当たり前に気づくこともなかったのです。過去の自分にとっては、今が未来です。その釣り合いがなされなかった時、人は壊れます。今だけに目を向けた時、人は止まります。

過去と未来に目を向けて、今の気持ち悪さに気づいた時、動き出します。それは、前へも後ろへもです。どっちに動いたって正解です。なぜならまた気持ち悪くなって動き出そうするから。

ただ、前に行くことがいかに難しくて、今の当たり前を実感することが、いかに後退を遠ざけるかは、なかなか気がつきませんでした。

今とても気持ち悪いです。なぜなら、前に行きたいのにいけないから。こんな時、自分ならどうするか。そう、止まります。そして考えます。今何をすべきか、そして今の自分の情けなさに、気持ち悪くなって、また動き出します。ここで、気持ち悪さを止めようとしてはいけません。気持ち悪さは、明日への希望です。当たり前の繰り返しから生まれる、日々の一つ一つのズレです。

つまり、気持ち悪いと思えば思うほど前に進めばいいのです。後ろの自分なんて、振り返って笑ってやりましょう。そして前の自分に、早すぎだよと、笑ってやりましょう。前の自分に追いつくのではありません。そして、他人の道にずれて、その人を追いかけるのでもありません。

他の人に、そして理想の自分になろうとする必要はありません。なろうとするのではなく、前に追いつくのではなく、自分が進むのです。自分の道の先頭は、自分です。

誰かになろうとすれば、なれません。なぜなら、その人が前に進むから。一生追いつかないのです。ただ、追い越すだけでいいのです。つまり、その人の後ろを行くのではなく、その人の隣で並走し、たくさんのことを見て学び、考え、感謝して、追い越せばいいのです。背中を見るのはもううんざりでしょう。

我が道をゆくというのは、自分勝手になんでもするのではありません。人は誰しも我が道をゆきます。ですから、その道が並ぶ人生という名の荒野において、その終わりなき道の探究心を満たすため、並走する誰からも吸収して、誰にも感謝して、誰よりも自分を信じて、誰よりも気持ち悪くなっては、前進して、たまには後退して、休んで、また前を向くのです。

そうすれば、我が道をゆくということの本当の意味がわかります。それは、「我が道をゆくというのに、意味なんかない」という意味です。

そして、その意味に気がついた時、気持ち悪さという当たり前に感謝ができます。そして、その当たり前を大事にします。我が道の道標として、自分の背中に乗せます。自分の背中など、ちっぽけなものです。それでも当たり前が乗るくらいの背中は、誰にでもあります。

人生という終わり見えない荒野を、旅していくのです。その背中には、みんなに当たり前=気持ち悪さがなっています。つついてきます。一度後ろを向きます。また前を向きます。進みます。

いつも自分を自分でいさせてくれるのは、その当たり前です。この2日で気づいた気持ち悪さだったのです。自分に言いましょう。これからもよろしくね。気持ち悪いと思うけど、ずっとそばにいてね。いつか終わりが来た時、満面の笑みで感謝できるよう。走り続けるからね。と。

今自分は荒野の端の方にいます。たくさんの道があって、その中の一つの上に立っています。後ろも前もわかりません。わからなくていいのです。その荒野に気がついた時、向いているのが前です。わからなくなっても、背中の当たり前が教えてくれます。他の道が何本そこにひかれていようと、自分が進むべきは、一本です。そこに道がある限り進み続けなければいけません。理由なんて、ありません。その道がある意味なんて、ないということに気づくこと、が本当にその道をゆくことだと思います。明日があるのは、昨日があったのは、自分がいるのは、他人がいるのは、当たり前ではない。でも、自分がすべきことは当たり前のことで、気持ち悪さの根幹となるもの。じぶん、他人、明日、今日、全てに感謝し、全てから吸収し、また前に進むことができたなら、釣り合いは、なにがあっても元に戻るでしょう。

信じましょう、当たり前の効力を。その背中に乗った当たり前を、気持ち悪さを道標とし、その荒野を、終わりなき旅のステージとして、存分に歩き回るのです。目標なんて、背中にいる気持ち悪さ、当たり前に聞けばわかります。

けど、注意してください。すべきことという意味での当たり前と、常識という意味での当たり前は全く違います。前者は、自分が気持ち悪さと共に生きてきた証として与えてくれた、自分が決めた、進むべき道。後者は、荒野というステージ上のルールです。能動、受動の違いです。

用意はできました。これがここまで生きてきた中での、自分の中の、自分とってのルールブックです。

これでブログは、終了します。見てくださった方々、本当にありがとうございました。

荒野にまた戻ります。言うならばここは、荒野に空いた、小さい穴のようなところではないでしょうか。

 

wilderness  worldでの「終わりなき旅」を楽しんでこようと思います。

また会いましょう。